言の葉便り 花便り 北アルプス山麓から (四)

 冬のあいだに落下した枯れ枝を拾い集めています。

 こうして庭仕事が始まるのです。

 枝の太さは、小指大の物から、脳天を直撃されると死ぬかもしれない、凶器とも思える代物までとさまざまです。雪と突風がもたらす剪定なのですが、魅せる庭造りとなると、どうしても自然任せにはできず、人の手を加えねばなりません。

 それにしても時間の恐ろしさときたらこれまた格別で、種から育てたブナが、この数十年間で呆れ返るばかりの生長を遂げ、今や巨木への道をひた走っています。寿命が尽きる前にこんなに大きくなるとは夢にも思っていませんでした。ただもう驚きです。

 かつてはそれを燃やしての処理でしたが、近頃では、生垣の火事が心配ですので細かく裁断し、落ち葉と混ぜて土に還すことにしています。数年も経たないうちに理想的な肥料となります。

 自分の骸も同じようにしたリサイクルされたらいいのでしょうが、関係者が嫌がるのでそうもゆきません。それに法的な問題もありますから。

 かつて犬を飼っていたことがありました。当然ながら人間のようには長生きしません。特に大型犬は短命で、長くても十年程度です。

 こうした田舎ではペット専門の葬儀屋さんはおらず、飼い主自身がどうにかしなければなりません。幸いなことに、都市部ではちょっと無理な広さの庭を持っているので、バラの周辺に深い穴を掘り、そこに懇ろに葬ってやりました。

 やがて理想的な養分と化したかれらは、オールドローズやワイルドローズの花を立派に咲かせて、まだ死んでいない人間の目を楽しませたものです。そしてちょっと切ないその感動は、共に過ごした素晴らしい時間へといざなってくれました。

 なぜかはわからないのですが、愛犬を埋めた場所へ差しかかるたびに、おのれの人生が所定の位置に就いたような、すっきりとした気分になれます。不思議でなりません。そして、生き直すことが可能だという、かなり虫のいい期待が湧き起こってくるのです。

 枯れ枝を小脇に抱えてしばらくその場に佇んでいるうちに、生と死が延々とくり返されることで成り立つこの世に、なんとも遣る瀬ない愛おしさを覚えるのはどうしてなのでしょう。

「この世はいっさい幻想なんですよ」と朽ち木が口を揃えて言いました。

「命在ることの理非を論じても始まりませんよ」と愛犬の面影が伝えてきました。

いぬわし書房

作家・丸山健二が主宰する出版社。丸山健二作品や真文学作品の出版、および丸山健二の活動状況をお知らせします。

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