1970年代に世界的な流行をもたらした、ジャマイカの代表的なミュージック、レゲエ界の重鎮にしてレジェンドでもある、ボブ・マーリーの全盛期の頃、こんな噂がまことしやかに広まった。

 彼が粗末な自宅の裏山に小屋を建て、そこで自作のレコード盤を一枚一枚手焼きにしているというのが、それだった。

 もちろんほとんど眉唾物の風評であり、真偽のほどはともかくとして、それを聞いた途端、すでに小説家の道を歩んでいた私は、憧れと衝撃をもって受け止めたのだ。

 爾来、版元に対する違和感と疑念が生じるたびに、夢のまた夢である理想の発表の場として、ボブ・マーリーの山小屋のイメージが勝手に膨らんでゆき、「いつかきっとこのおれも」という呟きが重なって、しかし、思いが募れば募るほどに実現の可能性は低まり、最後は気休めとしての答えでしかなくなってしまった。

 そして半世紀以上の歳月が流れ、出版社の注文を受けて書くという、世間的にして常識的な仕事のやり方が反復され、その間、果たしてこれでいいのだろうかというストレスがどんどん溜まっていった。

 一方において、大量生産による大量販売という出版界の潮流が主流と固定化され、それ以外は排除され、「悪貨は良貨を駆逐する」のたとえ通り、悪書が良書を駆逐する羽目になり、そんなお粗末な商法が蔓延り過ぎて罰が当たり、ついには悪書でさえ見向きもされなくなった。なお且つ、明治以来の近代文学が未熟のまま腐ってゆき、初期当時の幼稚なレベルすら保てなくなって、ついには瀕死の状況を迎え、朽ち果てつつある、というのが偽らざる現状なのだ。

 そのとき、遅ればせながらも、私のなかで突如としてボブ・マーリーのあの噂のイメージが生々しく復活し、つまり、人生の後半に際してその夢に挑む価値が充分に認識され、自分で印刷から製本までやってのけるところまでは無理としても、せめて、自分の作品は自分が版元となって出すべきではないかと本気で考えるようになり、一挙に実現の方向へどっとなだれ込んだ。

 その時点で、わが出版社の名が、即座に「いぬわし書房」と決まったのは、おのれが掛けた巣の上にほかの巣が掛けられたり、林道や観光道路が造られたりすると、そのもっと上に巣を掛け直すという、誇り高くして気高いイヌワシの習性に、山国育ちで、今なおそこに生活と執筆の拠点を定めている私としては、ほかの名など思いも寄らないことだった。

 かくして私は、不特定多数の安直な読者ではなく、あくまで特定少数の、眼力あふれて感性に優れた、読み手としての才能に恵まれた読者に向けての発表の場を、とうとう設けるに至った。

 そして、その第一弾として、四部作の大長編「ブラック・ハイビスカス」の新作を出すことになった。

 以後、次々に、これぞ文学と思えるばかりか、既成の文学をひっくり返すエポックな作品を発表してゆく所存であり、この五十数年のあいだ、ついぞ味わえなかった、異様なほどの高揚感に包まれ、この姿勢こそが文学の原点であり、ほかの遣り方などあり得ないのではないかという確信をもって、きょうもまた執筆に没頭している。


いぬわし書房 主宰 丸山健二

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