WORKS

Zoomでのご視聴は定員に達したため締切ました。

みなさん、ご無沙汰しております。

暑すぎた長い夏がようやく終わり、秋もそこそこに、大雪と寒冷の冬が一気に押し寄せてきておりますが、お元気でお過ごしでしょうか?

いぬわし書房主宰の丸山健二は、81歳の誕生日を超えてますます心身ともにパワーアップして、日々雪掻きに励んでいるようです。

庭木の冬支度についてはさすがに最低限に留めているそうなのですが、周囲をぐるりと囲う2メートル以上はある垣根の雪下ろしは、両肩を痛めながらも奮闘されているとか。

雪国の人は本当に強いです。


さて、新年明けまして、2025年2月2日(日)に無料の講演会を開催します。

半世紀に亘り書き続けてきた主宰が、飽きっぽくてせっかちな性格を自認している丸山健二が、今日まで小説家一本で生きてくることができたのか、その本質に迫る内容です。

ご視聴はZoomで可能です。数に限りがございますので、お早めにお申し込みいただければ幸いです。

■概要

【開催日時】2025 年2月2日(日)

      14 時30 分~ 15 時45 分

【講師】芥川賞作家・丸山健二

【リアル会場】近鉄文化サロン上本町(先着30 名様)

       大阪市天王寺区上本町6 丁目1-55 近鉄百貨店上本町店10 階

※「リアル会場」では、スクリーンに投射したZoom映像でご視聴いただきます。ネットが苦手な方は、こちらにお申し込みください。

【WEB 会場】Zoom(先着50 名様)

【入場料・WEB 視聴料】無料

【お申し込み方法】ご希望の「リアル会場希望」または「WEB 視聴希望」を記載し、お名前を明記のうえ、下記のメールアドレスへお申し込みをお願い致します。

inuwashi.shobo@gmail.com

お申し込みいただきました方には折り返しメールを返信致しますが、リアル・WEB ともに定員になり次第、受付を終了致します。またZoom でご視聴の方には、招待URL を追ってお送り致します。


みなさん、お元気でお過ごしでしょうか?

大変ご無沙汰しております。

なが~い夏もようやく落ち着いてきまして肌寒くなって参りました。

秋、あるのでしょうか?


さて、本HPとnoteで連載しておりましたエッセイ「言の葉便り 花便り 北アルプス山麓から」ですが、

未発表分も含めて、田畑書店さんより単行本となって刊行されます!

久しぶりのエッセイ、新刊でございます。

ご購入いただければ幸甚です。

【Amazonから購入はこちら】

今後とも何卒よろしくお願い致します。


管理人

 八十歳を超えて不思議に思うことがあります。

 覚悟していたにもかかわらず、寿命の短さを痛々しいまでに自覚する瞬間がまったくないのです。若かった頃と同じとまでは言いませんが、やはり未だに時間の感覚が永遠の位置に留まったままなのです。

 これはいったいどういうことなのでしょうか。曲がりなりにも健康体を保っているからなのでしょうか。そんなはずはありません。風呂へ入るたびに慢性的な膝の鈍痛が再認識され、鏡を前にするたびに皺と染みが増えていることを思い知らされます。老化が急速に進んでいることは厳然たる事実なのですが、なぜか落胆や失望のたぐいに見舞われることがないのです。どうやら妻の認識も同じようです。

 子どもがいないからなのでしょうか。ために、生々しい加齢を自覚できないのでしょうか。それも確かにあるかもしれませんが、すべてとも思えません。

 世間一般の暮らしを送っていないせいで、歳月の捉え方が大幅に狂ってしまったのでしょうか。もしそうなら、願ったり叶ったりのいい事です。

 さもなければ、これはあくまで自分勝手な解釈なのですが、多くの草木と共に命を日々積み重ねていることから発せられた僥倖かもしれません。その意識はなくとも、実際には花々から何かしら好ましい影響を受けてこうした能天気に浸っていられるのだとしたら、言葉は悪いですが、儲け物です。

 当然ながらそういつまでもつづくことはないでしょうが、ともあれ今はこうして生きているのです。そしておめでたいことに、数十年後の庭の設計を本気で考え、生育が極めて遅い苗木をどんどん購入しています。この春にもまた、三十センチにも満たない接ぎ木のマグノリアの仲間を取り寄せて植えました。そしてその花が満開になる将来を本気で想像しているのです。

 文学作品においてもそのありさまです。これが最後と思って書き上げた作品を前に、もう次の執筆に入っているのです。その勢いを中断させ、中止させる条件が見あたりません。いい人生と言えばそうなのでしょうか。

 植えたばかりの〈ブータンルリマツリ〉が、「満開を期待していいぞ」と約束ました。

「それまで何年でも待ってる」と私はあっさり安請け合いをしました。

 するとタイハクオウムのバロン君が、「馬鹿か、おまえは」と、すかさず横槍を入れてきました。

 我が庭にとって、梅雨明けを間近に控えた頃の大雨はまさしく慈雨となります。

 それというのも、地面の下が粘土層ではないために根腐れの心配をしなくて済むからです。むしろ「もっと降れ」と雨雲を煽りたくなるほどなのです。

 この辺り一帯は元河原でした。それが田畑になったのは、開墾した者は農地の所有者になれると、戦前、戦後のお上が奨励したからです。

 その時代には開拓者が簡単に扱える重機などなく、馬や牛を手に入れる資金もありませんでしたから、ひたすら人力に頼っての重労働を余儀なくされたのでしょう。農作業自体が、今では想像もつかないほど過酷なもので、子どもの手を借りても間に合わないほどでした。当時の農民の皮下脂肪のない体が思い起こされるたびに、土に生きるということの凄まじさが蘇ってきます。

 やがて経済的繁栄が訪れ、農機具の普及によって重労働がかなり軽減されました。ところが、人間というのは横着なもので、ひとたび楽な方向へ突き進むと際限なくそっちへ転がってゆき、しまいには農業自体を忌み嫌う若者が増え、都会へ出て行けば土にまみれずに済むという、ただそれだけの理由で離郷者が続出しました。その結果と、悪政としての農政の欠陥が相まって現在の農業不振を招いたのです。

 周りは年寄りばかりです。それも後期高齢者が目立ちます。休耕田も増える一方です。少なくともこうした土地に未来の輝きは見あたりません。

 そういった深刻な状況のなかで私は、腹の足しにもならない園芸なんぞを楽しんでいます。死ぬのを待つような人生の後半生を忌み嫌って、執筆と作庭にひたすら打ちこんでいるのですが、しかし、これが人間本来の生き方であるとは言い切れない自分をも併せて感じています。

 もちろん、時代を比較したところで何も始まらないことは承知しています。

 要するに、今の自分が今の時代を精いっぱい生きるほかないのです。

 歳月は確実に流れています。時代もまた然りです。

 それが証拠に、私も妻もそれなりに老いました。でも、タイハクオウムのバロン君は命の絶頂期へと向かって突き進んでいます。そんな私たちを取り囲む好みの草や木も、生き死にの摂理に忠実に従っています。

 ともあれ、この世に存する限りは逃げ場を完全に失うことなど絶対にあり得ません。

 月の色に染まった夜が、官能的な痛みを伴う闇が、またしてもひたひたと押し寄せてきて、すべての生き物に寄り添う固有の意味を優しく覆い隠してくれるのです。

「それでいいのでしょう」と蓮華岳が慰めてくれます。

「それがこの世における命の在り方というものでしょう」と蟻が断言しています。

 金色を帯びた虹色の輝きを放つコガネムシが、絶好調を迎えつつあるワイルドローズの花に潜りこんでいます。

 獲物を念頭に置いたジョロウグモがせっせと糸を吐き出しながら、ほぼ限界の大きさの罠を仕掛けています。大小さまざま、色とりどりの蝶が、副次的な効果のために庭の引き立て役も務めています。

 気の早いトンボが羽虫を狙って集まってきています。

 初夏の昼下がりがきらきらしています。

 そしてこの庭の製作者たる私は、独断のきらいがある幻術者を気取って、感情の赴くがままに陶酔と恍惚を貪っています。

 幸福がここにあふれ返っています。天国とはまさにここなのです。

 自然の摂理がもたらす心地よい秩序が青空の彼方へ消散してゆきます。

 理性が冴え返る時間は無用です。

 すでにして私と妻とタイハクオウムのバロン君は永遠を把握した気分に浸っており、三者のささやかな睦み合いが頂点に達しかけています。

 心も魂もまるごと陽光に任せきって、精神の防壁を悉く投げ出しているこのひと時がたまりません。

 無用の長物たる人生設計などは惜しげもなく捨て去りました。

 春鳥に入れ替わりつつある夏鳥が集まって清談に時を過ごしています。

 パトスは後退したところへエトスが割りこんできました。

 まださほど熱くはない風が、論点を外れた議論を展開して人生の哲理なんぞを説いています。

 夜には派閥間の暗闘が絶えないカエルたちも、今は絶対的実在から離れて、葉陰にじっとうずくまっています。

 いい日です。杞憂のかけらも見あたりません。精神の破産など思いも寄りません。たまにはこんな日もあっていいでしょう。

 庭の外へ一歩出るや、嘘偽りの塊が灰汁色の世間を暗示して止みません。絶対的実在なるものの片影すら認められないありさまです。

 それでいいのです。この世は夢です。三次元のホログラムなのです。

 ですから、軽々に見逃してきた真理のたぐいを惜しんでいけません。

 始まったばかりの七月が歓喜の歌を控えめに唄っています。

「意思の疎通を欠かさないでくれ」と万物が頼んでいます。

「絶対的実在なんぞを信じないでほしい」と濃い紫色のクレマチスが願っています。

 作庭と執筆が時の流れをさらに速めます。

 一年などは、あれよ、あれよと言う間に過ぎ去ってしまいます。

 そして背後に残されたのは、二百数十冊もの著書と、数百もの草木で埋まった庭と、未だにどう過ごすべきであったのかよくわからない、たった一度の人生と、半世紀余り暮らしてきた妻と、今年七歳になったタイハクオウムのバロン君です。

 良い意味でも悪い意味でも、夢心地とはまさにこのことでしょうか。現実とはとても思えない瞬間をたびたび感じます。

 掠り傷程度の、不幸とは呼べない不幸に見舞われたことが幾度かあっても、幸いにして洪水や地震や津波や火事や大病といった大きな災禍には巻きこまれませんでした。それだけでも上等ではないかと思うことにしています。

 もうひとつ、文壇とやらのいかにも日本的な陰湿さが醸しつづける、私のような性分の者には著しく肌が合わない雰囲気に、最小限度しか染まらずに済んだことが救いと言えば救いでしょうか。しかも、今ではそんな異様な世界から完全に身を離して、ほぼ思い通りの文筆活動に専念できているのです。遅きに失したとはいえ、藝術に携わる端くれとしては当然の純粋な生き方を得た今では、過去に溜まった後悔のたぐいがきれいに払拭され、跡形もなく帳消しにされています。

 そのことが庭にも作品にも色濃く反映されて、日本語の持つ稀有な魅力が、まだ充分とは言えないまでも、かなりの度合いで我が文章に発揮されつつあるようで嬉しく思います。もちろん、これしきの庭では、これしきの文学作品では、とても満足できません。できないからこその止めない理由と生き甲斐が、切り子ガラスのごとき輝きを放つ美の世界へと導いてくれるのでしょう。

 無礼を承知で言います。日本文学を庭にたとえますと、「おばちゃんガーデニング」か、良くて形式主義に凝り固まった「日本庭園」のレベルであって、残念ながら、進化と深化を旨とする芸術の真髄に迫るどころか、恥ずかしい限りのナルシシズム一辺倒の前で立ち往生したまま枯れようとしています。つまり、時代から飛び出したブームの域を最後まで脱出できずに衰退を迎えたことになるのでしょう。

 真の文学へと突き進まなかったのは、真の庭園のそれと同様、陳腐な伝統と商業主義に毒されたからにほかなりません。

「そうお堅いことを言うなよ、たかが庭なんだから」と改良園芸種がうそぶきました。

「いやいや、燻し銀の渋さを忘れたら万事休すだぞ」と野生種が言い切りました。

 葉っぱだらけになってしまった夏の庭を彩ってくれるのは、各種のユリです。

 テッポウユリ系よりもクルマユリ系が好きで、オリエンタルリリーの括りで販売されているド派手なユリも、使い方次第で新鮮な驚きと感動をもたらしてくれるために厳選したものを少々使います。

 しかし、所詮はオニユリやヤマユリといった自然系の引き立て役でしかありませんから、さほどの思い入れがなくても、美の基準に適合している場合に限り植えるのです。

 特定の花への愛着は、色や形のほかに、郷愁といった要素も欠かせない条件で、少年時代に山で出会ったその花が胸のどこかに焼き付いたまま、いつしか精神的な宝にまで昇華されているのです。

 たとえば風に揺れるコスモスの花にそれを感じている人は少なくありません。あるいはヒマワリ、あるいはまたアサガオ、そして黄色い小菊などが素晴らしい香りといっしょに深々と記憶に刻まれていたりします。

 とはいえ、自分の庭へ取りこみたいと思うのはユリの仲間が主で、ほかは寄せ付けません。思うに、床しさを突き抜けてしまう切なさが付き纏っている花だからではないでしょうか。

 妻は子どもの頃、父親が畑で栽培した、当時はまだ珍しいグラジオラスやダリアを抱えて帰宅する途中、注目の視線を浴びたことが忘れられないようで、今でもときどきその話をして懐かしがります。だからといって庭にそれを植えてほしいとは言いません。ほかの思い出と重なって胸苦しさを覚えるからでしょうか。

 クルマユリ系でなくても気に入りの野生種がいくつかあり、試しに植えてみたのですが、やはり環境が適していないらしく病気や虫にやられて全滅しました。そして辛うじて残ったのがタキユリで、名の通り滝のように茎をしならせて花を咲かせる風情はまた格別なのですが、残念なことに数を増やしてくれません。

 近年タキユリは絶滅危惧種に近い扱いを受けているという噂を耳にしました。「さもありなん」のひと言で自分を納得させたものです。

 面白いのは、タイハクオウムのバロン君が大型のけばけばしいオリエンタルリリーに異様な関心を寄せて大騒ぎをすることです。熱帯雨林の花を知っているはずもないのに、どぎつい色と形状に潜在的なノスタルジーを刺激されて原始的な血の騒ぎでも覚えるのでしょうか。

「どの花の思い出をあの世へ持ってゆくつもりなのか」とカノコユリに訊かれました。

「あっちへ行けたら、そこでまた新しい花を探してみるよ」と私は答えてやりました。

 木枯らし一号とおぼしき、アルプス颪とも言える冷酷な風が、高齢者たる私に虚勢を張らせます。「何くそ、これしき」という思いが強まって、「今度の冬も生き抜いてみせるぞ」という、年寄りの冷や水もいいところの覚悟を勝手に固めます。というか、弱音を吐いたところで誰も助けてはくれません。

 まあ、これは例年通りで、今ではもう慢性化された、その分だけ新鮮味に欠ける自分への叱咤激励なのですが、生き抜くための底力を沸き立たせる原動力となっているのだとすれば、まずはよしとすべきでしょう。

 もし温暖な土地で暮らしていたならば、ひょっとすると私はとうにこの世を去っていたかもしれません。そんな気がします。こうした自然的に過酷な生活環境を無事にくぐり抜けて行くには、都会とはまた異なった決意が否も応もなく必要になるのです。

 つまり、人生は闘いなのだという心外な心積もりにのべつ迫られて生きなければなりません。甚だ面倒くさい生の在り方ではあるのですが、やむを得ないでしょう。

 だからといって 逞しさを求められる日々が肉体や精神を鍛え上げてくれるとばかりは言い切れません。その効果が逆の方向で働くことも多々あります。端的に言いますと、肉体をぼろぼろにさせ、精神をいじけさせてしまう、そんな暗い一面も否定できないのです。

 自然の美しい土地というのは、得てして気候が冷酷なものです。そしてそれが執拗であり、程度があんまりな場合は、肉と霊は虐げられて、その両面の命を気づかないうちに蝕まれてゆきます。それをどうにか防いでプラス面に変えるには、そこで暮らすための意義を自分なりに把握するしか手がありません。

 私の場合は、何よりもまず文筆活動の軸を軟なものにしないことでしょう。要するに、「生まれてきてごめんね」式の、ナルシシズムべったりの女々しい文学へ引きずられたらその時点でおしまいなることをはっきりと自覚すべきなのです。それには、日々の闘いの同志たる庭の植物たちに心をひたと寄せ、無言の励まし合いによって所期の目的から目を逸らさないことが肝要ではないでしょうか。そんな思いを小脇に抱えてこれまで生きてきたつもりです。幸いにも、八十歳を迎えた今なお、その姿勢は揺らいでいないようです。

 そしてふたつ年下の妻も、本来は南国の生き物であるタイハクオウムのバロン君も、庭の草木の影響下に在ってどうにか頑張っています。

「なかなかやるもんだね」と寒風が褒めてくれました。

「生き物の宿命だからね」と空っ風がうそぶきました。

「果たしていつまで……」と初雪が小声で呟きました。

 庭が理想の形に向かって充実してゆくにつれ、ここが捨て去るべき土地ではなくなりつつあります。

 と言いますのも、五十代の頃までは頭の片隅に引っ越しが絶えずこびり付いていたからです。好きで選んだ住処ではなく、妥協の産物としての住居であったがために、いつかもっと好みに合ったところへ移り住もうという、ある種の口癖のごとき念願から離れられませんでした。

 そうはいってもやはり寄る年波の圧迫感には逆らい切れるものではなく、観念したと言いましょうか、夢を追う力が弱まったと言いましょうか、要するに「まあ、こんなところがお似合いってもんじゃない」と呟くことで諦めたのでしょう。

 実際問題、よしんばそのための資金をしこたま貯めこんでいたとしても――あと千年生きられたとしてもあり得ないことでしょうが――転居に必要な体力が不充分ではどうしようもありません。

 そこで、こんな弁解がましい独白がくり返されるのです。

「仕方がない、ここでくたばってゆくとするか」

「今回の人生はこれでよしとするか」

「思い通りに運ぶことなど滅多にないぞ」

「あれこれ思い残して終わってゆくのが人の一生ってもんじゃないの」

 モズが高音を張っています。

 コオロギの鳴き声が弱々しくなってきています。

 秋の終わりを感じないではいられません。

 それでも私は生きて来年の庭を見るつもりでいます。というか、生きているから生きつづけるのであって、それ以上でもそれ以下でもないのでしょう。要するに、ひたすら動物的な生き方に徹底しようとしているのでしょう。そのほうが気楽に過ごせそうな予感がするからです。

 タイハクオウムのバロン君はまだ子どもです。平均寿命からすると、少なくともあと三十年は生きることになっています。

 ならば、私はなんとしても生き延びなければなりません。妻とバロン君を看取ってからでないと死ぬに死ねません。

 そんなことを大真面目に口走る夫に、妻は小ばかにした笑みで応えるのです。

「はてさて、どうなることやら」と鳴いたのはフクロウでしょうか。

「一場の春夢としての生涯などまともに相手にするなよ」と囁いて寒風が通り過ぎます。

 第三者の目にはどこが面白いのかさっぱりわからない、単調な庭作業に没頭しているときのことでした。

 突如として家のなかからドタドタドスンというただならぬ音が聞こえてきたのです。直接見たわけではありませんが、瞬時にしてぴんとくるものがありました。そしてその光景が鮮明に脳裏に浮かびました。

 案の定です。タイハクオウムのバロン君がギャーギャーと大騒ぎする最中、階段から転がり落ちた妻が廊下にうずくまっていました。骨折していないかどうかを確認し、とりあえず打撲のみとわかったので、痛みが遠のくまでその場に寝かせておきました。

 これで二度目のことです。正しくは三度か、それ以上かもしれません。それというのも私に「ドジな奴」と言われるのが癪で、気づかれないときには黙って耐えているからです。デッキから転落したこともずっと後になって話したくらいです。

 とはいえ、けっして歳のせいではありません。二十代の頃からこんなでした。デート中に交差点の真ん中で足をもつれさせてひっくり返ることがたびたびありました。今にして思えば、幼児のように目が離せない相手だとわかった時点で結婚を決意したのでしょう。半世紀以上に及ぶ夫婦生活において口癖になってしまったのは、「この俺が二十四時間、三百六十五日自宅にいられる仕事をしていなかったら、おまえはとうに死んでいたぞ」という恩着せがましいにも程がある決め台詞です。

 また、階段の造りも造りで、暴力団の事務所のそれに似て、狭い上に急勾配なのです。敵対組織に攻めこまれた際には有効なのでしょうが、運動神経のかけらも持ち合わせていない妻にとっては致命的です。そこでエレベーターの使用と手摺りの取り付けを提案したのですが、意地っ張りの妻は拒否しつづけるのです。やむなく階段の掃除を代ることで妥協しました。

 時々こんなことを考えてしまいます。結婚に関する運命の働きは、もしかすると互いに補い合える方向で動くのかもしれないと。

 そして私のほうはと言いますと、どうやら妻の存在そのものから言うに言われぬ摩訶不思議な安らぎを得ているようなのです。

 そんなこんなを今頃になって悟った次第です。

 私たちに向かってバロン君がからかいの言葉を発します。

「ボタンの掛け違いは否めないけど、まあ、そこそこお似合いってもんじゃないの」

 不吉な十三段の階段が、老夫婦が上り下りするたびにこんな憎まれ口を叩きます。

「高齢者が無理するんじゃないよ」

 標高があるからといって涼しい夏を満喫できるとは限りません。

 観光地として有名な高原であっても、ときとしてそれなりの暑さに閉口させられます。

 ましてここは、七百五十メートルという中途半端な高度ですから、太平洋高気圧の張り出し方いかんによっては三十五度を超える高気温に見舞われることも珍しくありません。

 もうだいぶ以前のことになりますが、ヒマラヤの青いケシにいたく魅了されたことがあり、たとえ一日でも三十度以上になる土地ではまず無理だと承知していながら、ごっそり苗を取り寄せて植えたものでした。むろん、その年には開花します。ネーミングを遥かに上回る美しさでしたが、しかし、れっきとした宿根草であるにもかかわらず、翌年には影も形もありません。

 それでもすっかり諦められるまでには数年を要したでしょうか。やがて、苗を販売する業者のカタログにもまったく紹介されなくなりました。やはり駄目なものは駄目という常識が植物愛好家のあいだに広まってそうなったのでしょう。

 その後、標高千メートル以上の庭で根付いたという話を耳にし、テレビ番組でも紹介されたことがありましたが、それきり音沙汰無しです。

 逆のケースもあります。学名はマラコデンドロンで、商品名はアメリカナツツバキという花木ですが、白い花の中心部が紫色という、なんとも魅惑的な美しさに惹かれて取り入れてみました。なかなか根付きが悪く、幾本か枯らしたのですが、残りは成功し、年々それなりの生長を遂げ、ついには幻想的な花を枝がしなるほどつけるようになりました。

 ところが、耐寒性がマイナス十度であるために、それ以下となると途端に弱ってくるのです。一日くらいならどうにか耐えてくれるのですが、マイナス十五度が連日となるともういけません。春が訪れると枝の大半が凍死していることが判明しました。完全に死んだかと思い、幹をよくよく調べてみますと、本体の三分の一くらいが瑞々しさを保っていて、その年の初夏には僅かな数の花を咲かせてくれました。以後、復活の兆しが鮮明になってきています。でも、安心はできません。何しろ気候変動の時代なのですから。

 高齢者夫婦たる私と妻、そして南国が故郷であるタイハクオウムのバロン君。気紛れな暑さ寒さにもめげず、どうにか対応して生き抜いています。命の最大の意義は、闘うことにあるのでしょうか。面倒くさい話ですが、生きられるだけ生きてみます。

 なんと赤花を咲かせるヒマラヤの青いケシが、かつてこんなことを言いました。

「イメージを優先させて庭を作ってはならんぞ」

 愛用の水性ボールペンが、かつてこんなことを言いました。

「現実という基盤があってこその真っ当な文学だということをゆめゆめ忘れるでない」

 言うまでもないことですが、まだ若いタイハクオウムのバロン君や、長年連れ添っている妻のように、庭もまた生き物なのです……このたとえは、ちょっと問題ありですか。

 それはともあれ、そうした常識中の常識をついつい忘れてしまい、美術作品の創作と同等の位置付けをした結果、イメージ先行の大失敗を招きがちの状況に陥ります。

 つまり、一年中花いっぱいの庭にしたいなどという、とんでもない夢を命の世界へ持ちこんで、大殺戮の修羅場を生み出したりします。庭師たちは苦い経験の積み重ねによってそうした認識を深めているのですが、ガーデニングの初心者たちはその辺りがよくわかっていません。ために、生死にかかわる厳しい現実の壁にぶつかると、それだけでうんざりしてしまい、自己逃避が簡単なほかの趣味へと流れて行ってしまいます。

 そんなこんなが相まって、かつて異常なほど盛り上がったブームがあっと言う間に去ったのですが、結果的にはそれで良かったのではないでしょうか。草木の命を無駄にしなくて済んだのですから。

 とはいうものの、小説の世界がイメージのみで塗り固められると思うのは、世間に広く蔓延している大きな間違いです。かつて、「文学なんぞは女(おんな)子どもの世界だ」などという差別的な蔑視が横行していました。それというのも、過酷な現実になるべく触れないような、触れたとしても安っぽいナルシシズムをくすぐってくれる味付けとしてのみ利用され、浮きに浮いた、逃げない、あるいは逃げられない立場にある大人の男の目には、到底受け容れられない軽薄なものとして映ったのでしょう。

 そうです、たとえ架空の世界を描く文学であっても、庭と同様、生々しい命と、その有り様を慎重に取り入れなければなりません。つまり、美学のみを優先させたものであってはならないということです。

 ところが残念なことに、色とりどりのけばけばしい花で埋まった、あまりに嘘臭い庭と文学が幅を利かせ、それが主たる原因で衰退の一途を辿るに至りました。

 そうした観点からも、私の庭は私の文学に多大な影響を与えてくれ、その逆もまた然りです。

 それでもなお、しばしば創作の基本的な足場を度忘れします。ハスの花が泥から育って咲くという事実を意識の外へ飛ばしてしまうのです。

 アンティークローズに属する種類のランブラーローズが言いました。

「作庭も執筆も始める前に人間の無能さを知りなさい」

 ワイルドローズに近い種類のクライミングローズが言いました。

「逃げられないとわかったならばこの世にしがみついたらどう?」