言の葉便り 花便り 北アルプス山麓から(八)

 テレビのニュース番組なんぞで桜が五分咲きだの満開だのというお先走りの映像が流されるたびに、うんざりするほどの長い冬を経て募るだけ募った美の感動への期待感がどんどん目減りし、肝心の我が庭の花々が大分遅れて笑む頃には感激もかなり薄まってしまっているのです。

 それが癪で、この季節には先取りの開花動画を関心の外へ放り出すことにしています。

 そしてなお、ソメイヨシノを軸にした有名観光地の桜のたぐいは間違っても植えまいと固く心に誓いました。自分に死が訪れることなどあり得ないという、無邪気な幻影の余韻がまだ少しばかり残されていた、十数年前のことです。

 しかしまあ、そうはいいながらも桜への郷愁的な憧れは捨てがたく、そこでおのれへの妥協案として、匂い桜と称される種類を数本購入しました。バラ科の生長の速さには目を見張るものがあり、あっという間に枝葉を広げたかと思うと花を咲かせ、謳い文句通りの柑橘系の芳香を放ち、風が吹くたびに得も言われぬ心地に陶酔させられました。

 おまけに、香水用で名を馳せたバラも顔負けの、一本ずつ微妙な差がある上品な匂いを、これでもかとばかりに昼となく夜となく放ちつづけ、そんな恍惚の最中、妻がいみじくもこんな過激な言葉をさらっと吐いてのけたのです。

 「ほかの植物なんて全部要らないんじゃない」

 確かにその時点では私もまったく同感で、反動的にして改善的な思考の台頭する余地など毛ほどもありませんでした。

 ところがです。ある程度の大きさに達しますと、なぜか樹勢がみるみる弱まり始め、冬の峠を越えるたびに枯れ枝の数が新枝のそれを上回るようになったのです。当然花の数も減り、ついには全滅の憂き目を迎えるに至りました。察するに、気候風土に適さなかったのでしょう。さもなければ、表に出てこない陰湿な病気にやられたのかもしれません。

 そこで一旦は桜からの撤退を余儀なくされたものの、庭にぽっかりと生じた虚無的な空間を他の草木では埋められそうにはないと切実に感じ、苦慮の末、一般的な桜ほどは大きくならないマメザクラに注目し、その種類の多さに惹かれて、五本ほど取り寄せました。

 普通の桜に比べると成長がやや遅く感じられ、近頃ようやく小粒の花をちらほら咲かせるまでになりました。期待以上の美花です。果たして彼女たちの運命は如何に……。

 「駄目なものは駄目なんですよ」とは、植物に詳しい知人の言い得て妙なる真理です。

 「植えてみて十年くらい経たなければわかりませんよ」もまた彼の名言なのです。

いぬわし書房

作家・丸山健二が主宰する出版社。丸山健二作品や真文学作品の出版、および丸山健二の活動状況をお知らせします。

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