「死が癒してくれるよ」言の葉便り 花便り 北アルプス山麓から(十九)

 幸運にも、この八十年間で残酷な自然災害に見舞われた経験が一度もありません。しかし、この先もそれがつづくかと言いますと、「怪しい限り」が本当のところでしょう。

 本能的直感なる疑問符だらけの予感を前提にしますと、天変地異の時代が募ってゆくばかりと感じている人々の数は、増えることがあっても、減ることはないと思います。今さらながら偉そうに言うまでもないことなのですが、世界の変化は大中小の組み合わせによって構成されています。たまに発生する激変が普通の変転を差し招き、それが大災害を呼ぶといったサイクルとも呼べない悪しきサイクルが、なぜか文明が行き詰まった時点で人類に急襲を仕掛けてきます。この理不尽さと不条理さを宿命のひと言で片づけて言いものかどうかは別にして、動かしがたい真実であることは否むに否めません。

 そんな暗くてお堅い話はともかく、目下のところ無事な今現在に身も心も委ねて、暮らしを立てるための遣るべきことに専念し、人生の存続に没頭するほかにこれといった手立てはないのです。それこそが賢明な生き方というものでしょうか。

動物植物を問わず、すべての命がそうしてささやかな生の糸を紡ぐなか、絶滅する種は絶滅し、進化発展する種は残されています。くよくよ、あたふたから離れられない私自身は当然、何事も深く考えないというなんとも羨ましい性格の持ち主たる妻も、そして長寿を誇るタイハクオウムのバロン君も、いずれは時の流れに圧し潰されてこの世を去る運命を迎えるのでしょうが、この庭もまた遅かれ早かれ同様の道筋を辿らなければなりません。

 つまり、消えてなくなるのが存在の宿命なのです。

 だからといって、その原則中の原則を前提に日々の営みをくり返してみても安っぽい厭世主義に蝕まれるばかりで、偶然の積み重ねによる奇跡として現世に生を受けた甲斐がまったく得られず、せっかくの生涯を無駄にしたことになるでしょう。

開花を間近に控えた千草も、満開を迎えた花木も、当然ながら散り際の美などを念頭に置いていないはずです。ましてや朽ち果てる定めに付き纏う醜についてもいっさい思い浮かべたりはしないでしょう。

 生物としての存在はかく在るべきです。そう思うことに決めました。

「生を根拠づけるものなんてどこをどう探してもないんだよ」とあっさり言ってのけたのは、緑色の透明の羽をこすり合わせて鳴く夏の虫でした。

「何があったにせよ、いずれ死が癒してくれるさ」と皮肉を込めて呟いたのは、秋の終わりにデッキの下でぼろぼろの羽を声帯代わりにする、瀕死のコオロギでした。

いぬわし書房

作家・丸山健二が主宰する出版社。丸山健二作品や真文学作品の出版、および丸山健二の活動状況をお知らせします。

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