【連載】ときめきの鉱脈〈1〉(西日本新聞2020年10月6日朝刊より転載)

 ぎゅっと口を結んだ少年が絶命した弟を背負い、火葬場らしい一点を見つめる写真「焼き場に立つ少年」。被爆後の長崎で米軍従軍カメラマンが撮影し、近年ローマ法王の呼びかけで世界に拡散した。惨禍に耐える子どもの姿は強いメッセージ性を放つが、服装や背景をめぐって撮影地の真偽を問う論議も起こった。

「文学が入り込めるところが無限にある」。無言の語りに満ちたこの1枚に、作家・丸山健二(76)は触発された。

 4年がかりで書き上げた最新作「ブラック・ハイビスカス」は、写真の余白を埋める全4巻の大作。戦後日本の闇と光を凝視しながら、「生きるとは何か」を問う。南の孤島に咲く黒い花を媒介に、現代社会の濁流にあえぐ男と戦争孤児の人生が時空を超えて交錯する、ひそやかな叙事詩だ。

 製本までこだわり抜き、この秋、自身が主宰する出版社から限定版で発行する。デビュー54年にして「初めて作家になった気がする」と語る、渾身の作になった。

 執筆の最初に、英国の室内楽団「ペンギンカフェ」がショパンの夜想曲第20番をアレンジした「ブラック・ハイビスカス」を聴いたという。甘美な哀愁の序奏は一転し、ビートが疾走する。律動は丸山の筆先で波音に変換された―。

 さざ波がうねり出し、小舟に無数のしぶきが打ち付ける。流木を櫂に小舟をこぐのは、生きる意味を見失い都会を去った男。黒い花を探して南の孤島に向かい、洞窟で老人の亡きがらを目にする。瞬間、奇妙にも岩の壁に老人の来し方がありありと映し出され、原爆の惨禍と戦後を生き抜いた老人の人生が現代に生きる男の魂に溶け込み、火花のような生気を呼び覚ます。

「生きる意味は、生きていること、生き抜くことそのものにある」。そう語る丸山によれば、命の在り方には二通りある。

「安寧で単調な日々に虚無を感じて生きる命」と、「危機を自らの才知と本能で生き抜く命」と。少年の写真が見る者の胸を射るのは、現代人が見失いがちな、生への強靭な覚悟がにじんでいるからだろう。

 丸山は一作ごとに変貌を遂げてきた。人間の深層を言語化する作品群は、年々難解になっている。読み手を易々と受け付けない。「浮かぶままに書き、抑制を利かせて秩序をつける」という丸山にとって、筋立ては後からおぼろげに体をなしてくるものにすぎない。今作も一見ばらばらな文章の連なりに思えるが、能動的な読書の先に物語が紡がれていく。それは日々の混沌を追憶という物語に編集して生きる人間の現実を忠実に描く丸山流のリアリティーなのだ。

 文体の開発にも長年心血を注いできた。近年は短い文章で行分けし、文頭を左下がりで読ませていく詩集的なレイアウトを採用している。

 作家も期せずしてだろうか。視覚的な文体は今作のために構築され、錬磨されてきたかのようだ。長さを変え一行ずつ落ちていく文章は被爆した街に降り注ぐ黒い雨の象形に見え、夏の花々を黒くぬらした〈墨汁のごとき怪異なる雨〉の音とにおいが立ちこめる。そこには火の気配がする。行の群れは無数の記憶を灰じんに帰した黒煙にも映る。

 1966年のデビュー以来200以上の作品を発表したが、大量生産、大量消費の論理で動く出版界に長く違和感を抱いてきた。山小屋で自家盤のレコードを手焼きしていたという伝説的なレゲエミュージシャン、ボブ・マーリー(1945〜81)の仕事に憧れ、昨年末に自分で出版社「いぬわし書房」を立ち上げた。今作はその第1冊目だ。

 装丁は職人がヤギの皮を使って手作りし4巻セットで税抜き10万円。丸山がサインを入れ、丸山家の庭が最も花が美しい季節に購入者を招待する。執筆から流通まで読者と本当の疎通ができる文学の姿を模索し、ようやく実現にこぎ着けた。50部限定で受付を始めると、すぐに予約数に達したが、追加注文を11日午前10時まで受け付けている。

 自ら出版社を設立した背景には、数年前に個人全集の刊行を中断したこともあった。旧作を書き直してまとめる作業で文学の仕事を終えようと思っていたが、「そんなことばかりやっていられねえ」と新作への意欲がふつふつとわいた。

「大和言葉の絶妙な組み合わせ。日本文学の鉱脈はまだほとんど無尽蔵に眠っている」。その鉱脈を丸山は「真文学」と呼ぶ。

 文学の貴石を探すときめきに突き動かされ、脱皮を続ける孤高の作家、丸山健二。その文学世界を縦横に探訪する。=敬称略

(平原奈央子)

いぬわし書房

作家・丸山健二が主宰する出版社。丸山健二作品や真文学作品の出版、および丸山健二の活動状況をお知らせします。

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