【連載】ときめきの鉱脈〈5〉最終回(西日本新聞2020年10月15日朝刊より転載)

 壊滅した街は「太初の混沌」のようでさえあった。2011年6月、作家・丸山健二(76)は東日本大震災の被災地に立った。仙台市の高校に通った縁で駆けつけた先には、想像を絶する光景が広がっていた。

 船がビルの屋上に乗り上げ、田園地帯には緑が見当たらない。目の前の現実を記録するのにペンが追いつかず、レコーダーに思いを吹き込みながら歩いた。後に被災地リポート「首輪をはずすとき」にまとめ、率直な心情を吐露した。

〈物書きの端くれでありながら、言葉がまったく出ません〉。凄まじい崩壊状態の中で、〈常軌を逸脱した休止状態としての死〉に遭った犠牲者たちの無念に胸が引き裂かれた。

 礼拝堂のそばで、かすかな香りに足を止めた。か細い幹が地面にはいつくばるように伸び、バラのつぼみが膨らんでいる。命の息吹に血が騒いだ。〈生き抜くことこそが、最大にして唯一の命の目的にほかならない〉という確信と希望がわき起こり、子どものころに空いた胸の風穴をふさぐほどの、ときめきを覚えた。

 震災は丸山が小説で模索する「魂の目線」に転機をもたらした。被災地の体験が結実した長編「我ら亡きあとに津波よ来たれ」(16年)では、大津波で生死をさまよう青年の被災を、浮遊する魂が独白する。青年の魂が自分の肉体を廃屋で発見するシーンは衝撃的で、震災の惨禍を皮膚感覚で描き切った。


 丸山は1990年代以降、擬人化の手法を進化させ、魂を語り手にした長編を発表してきた。「貝の帆」(05年)は妊婦の胎児に舞い降りた誕生前の魂が十月十日を物語り、「猿の詩集」(10年)では戦死者の魂が猿に宿って詩を紡ぐ。

 魂を感受する力は、日々の庭仕事で育まれた。

 信州の秋は深い。北アルプスのふもとにある丸山家の庭も、ひと雨ごとに色づき、冬の気配を含んだ清澄な風が木の葉を散らす。門をくぐるとイタヤカエデにツルバラがからみ、ヤシオツツジの向こうにシャクナゲとオオデマリの小道が続く。友人にサンショウバラの成木をもらってからは、野生種と原種を好んで植えるようになった。

 未明に執筆を終え、夜明けから庭仕事に励む。枝葉を剪定し、草木の配置に心を砕き、芽吹きと結実までに目を凝らす。

 庭は丸山の小説美学が投影された「秘密の花園」だ。毎日手入れをしていると、刹那的な美の光景に出くわす。朝のしずく、昼の木漏れ日、夜気に漂う芳香。開花の瞬間は息をのむ。花の美しさが極まると、牧歌的な華やぎを超え「魔性さえ感じる」。

 ひたむきな生長と爛熟の境に咲く花には、生気が赫々と灯る。その「ぞっとするほどの華美」への恍惚を重ね、丸山は魂の本性を垣間見てきた。


 作中で様々に憑依してきた魂は東日本大震災を経て安住の地を失い、魂そのものがくっきりと浮かび上がった。

 描き下ろしならぬ「語り下ろし」の形でまとめた被災地の緊急リポート「首輪をはずすとき」では、震災と原発事故を太平洋戦争に続く「第二の敗戦」と位置づけた。「首輪」は国家や既成権力を意味し、「戦後日本人は考えなしに強者に追従してきた」と、甘えからの脱却と自立を説く。

 コロナ禍が続く今も「日本はその延長にある」と看破し、言葉を刻み続ける。現れ出る言葉は厳かな癒やしに満ちている。12月刊行の「ラウンド・ミッドナイト 風の言葉」は、真夜中に染み入るミュート・トランペットのような洗練と抑制を利かせた箴言集になった。

〈芸術の真の力の源泉は/生きんがための生存競争をも含めた/現実社会そのものに在り〉、〈そうした基盤の上に立っての美であるならば/感動はより深く根を張り/心のみならず/魂にまで及ぶであろう〉

 読者の傍らに佇み、読み返されるたび言葉が蘇り、反芻されながら永遠の命を生きる。「神なき聖書」ともいうべき本を目指した。

 数百の作品、幾千の言葉を尽くして、丸山はこう語り続ける。「理不尽で不可解なこの世を自らの意志で生き抜こうとする時、命はときめく」。「ときめき」とは魂に通じる命の輝きであり、再生の原動力。生の葛藤と挫折の中で火花を散らし、燦めく魂の軌跡を追って、丸山はペンを止めない。=敬称略

(平原奈央子)

いぬわし書房

作家・丸山健二が主宰する出版社。丸山健二作品や真文学作品の出版、および丸山健二の活動状況をお知らせします。

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