「自分を買い被ろうかな」言の葉便り 花便り 北アルプス山麓から(二十二)
庭の花が咲き乱れています。
好みの草木たちが黄金の季節を迎えて大はしゃぎしています。
地味な田園地帯の一角にあって異様な華やかさを醸すこの空間は、どこに潜んでいたのかわからない珍しい蝶や季節の小鳥を呼び集めて、作庭家自身を有頂天にさせます。
もしかするとですが、こうした高揚感こそが人生の黄金時代の錯覚を差し招くのかもしれません。
ひょんなことから文学の世界に首を突っこんでもう半世紀以上経っているのですが、元々の動機が転職という不純なものであったせいか、執筆生活においてのめくるめく充足感は、残念と言いましょうか、当然と言いましょうか、正直ありませんでした。
それでも八十歳を超えた途端、なぜか奇妙な〈やる気〉と〈本気〉の嵐が胸のうちに吹き荒れ、あまりの心境の変化に戸惑うくらいです。おそらくは、いえ、間違いなく、このエッセイを始めたことが起爆剤となったのでしょう。
しかしまあ、そんなことはどうだっていいのです。
ともあれ生きてさえいれば、やがて自分が想像していた自分に取って代わる自分と出会えるという、望外の喜びを味わえるとわかっただけでもめっけ物なのです。そうつくづく思います。
自分を好きになったことがあまりなく、むしろそれと正反対な気持ちにのべつ脅かされてきましたが、そうしたしょうもない葛藤がどこかへ吹っ飛んだのです。噂の通り、ともあれ生きてみなければわかりません。
併せて、紙の本へのこだわりも失せました。時代の潮流や社会の風潮におもねるつもりはさらさらありませんが、ネットを通しての発表の場も積極的に受け容れるようになり、それに合わせた文体や形式を開発し、かつての作品をさらに書き直してゆこうと決めたとき、長い執筆生活のなかで初めて心が躍りました。心底からときめいたのです。
そんな様変わりをした私に絶頂期を迎えた庭がよく似合います……そのはずです。
現在の認識と自覚のみに頼って生きつづけるタイハクオウムのバロン君と、ほぼそれに準じた存在である妻もまた、純粋に過ぎる嘆声の声をもらしています。
バロン君は陽光の乱舞に、妻は色彩の変化に、それぞれ別な思いを抱いて感激と陶酔に浸っているのかもしれません。
完璧なカップ型の白い花を咲かせたオオヤマレンゲが、「自己の安らぎがすべて」と控えめな物言いで訴えています。
万難を排して虚勢を張りたがる中国産のワイルドローズが、「もっとおのれを買い被ってみたらどうなんだ」といつもの煽りを入れてきます。
0コメント