【連載】ときめきの鉱脈〈3〉(西日本新聞2020年10月8日朝刊より転載)

 急峻な山々は刻々と表情を変え、雪解け水が河を満たして碧いさざ波を立てる。北アルプスを仰ぐ長野県安曇野。半世紀前に東京の文壇を見きった作家丸山健二(76)は、生まれ育ったこの地に総画の泉を見いだした。麗しい遠景に視野のレンズをぐっと近づけると、苛烈な自然の中で魑魅魍魎がうごめき、人間はむき出しの本性で生きていることに気づく。

 1970年の短編「血と水の匂い」には、正体のつかめない大男が出てくる。都会の客の機嫌を取りながらカモ撃ちに興じる村人のそばで、大男は静かに威容を放つ。その包容力と不気味さこそ、丸山が肌でとらえた安曇野の自然の超越した存在感だった。


 山奥での孤独な執筆生活の中で、丸山の野生も覚醒し、さく裂した。ガレージにぶら下げたサンドバッグを打ちまくり、バイクや四駆で山野を爆走した。うなるエンジンの爆音は「小説なんてなんだ!」と投げやりになった内心を代弁していた。飽き足らずにオーストラリアや北欧、アフリカまで遠征してテレビCMや雑誌のグラビアを飾り、男性誌「GORO」で骨太のエッセー「君の血は騒いでいるか」を連載して若者を刺激した。

 中短編作を数多く生み出しながら、たやすく書ければ書けるほど、「もっとまっとうな仕事をすべきではないか」との負い目が付きまとった。「荒っぽいことをして、危険な目に遭って、自分の殻を破りたかった。ふざけたことをしていた」。丸山は振り返る。

 断崖に巣を作り、大空に飛翔するイヌワシの気高さに憧れた。38歳で書いた「イヌワシのように」は、故郷の村に帰ってきた小説家志望の青年忠夫が、崖から降りてこない叔父を説得に行く幻想的な短編だ。家族は世間体から叔父の奇行をひた隠しにするが、忠夫は野生に返ったような叔父の生きざまにイヌワシの姿を重ねる。それは、ほかならぬ丸山の心象風景だった。


 肉体の本能を限界まで全開させた後、丸山は反動のように無気力の日々に落ちていった。しばらく打ち込んだ釣りもやめ、誰にも会わずひたすら眠り続けた。

 安曇野の深い闇の中にじっと身を横たえると、理性も野性も消えうせ、超越した存在に溶け込む感覚に包まれた。「真の純文学を書きたい」。求めてやまない新しい境地は世界の果てではなく、安曇野の自然に生きる自分自身の奥底に眠っていることに気づいた。

「地道にしつこく、文学の鉱脈を掘り進めるしかない」。そう再認識した40歳の節目の作品が、大幅な推敲を7回以上繰り返して書いた短編「河」だ。物語には再びあの「大男」が現れる。河辺の自動車事故で九死に一生を得た男が療養中に地元の食堂で大食漢の大男に出くわし、不思議な充足感と明日への力を得る。数時間の心の動きを繊細にとらえた。〈万事が終わったというような答えを出したりもしない。すべては今夜を境にして始まるのだ〉。新しい道を志向する主人公の言葉には、作家の決意が垣間見える。

 今年7月、丸山はデビュー作「夏の流れ」の改稿版とともに、「河」に筆を入れて再刊した。書き足された直截的で力強い言葉たちは、若き日の丸山自身に向けられているようにも響く。〈いつ、どこで、どんな発見に巡り合えるかわからない人生を、私は歓迎する〉〈命のある限り、何はともあれ行き続けるべきだ〉

 人間がいかに生きようとも、生き直そうとするその時も、河は滔々と流れゆく。すぐそばに在り、当然なあまり気づけなかった自然の摂理を静かに受け止める時間を経て、丸山は小説家の覚悟を決め、生死の根源に通じる文学の向こう岸に渡っていった。

 後戻りはしない。一作書くごとに腹をくくり直した。50歳になった日、精神を研ぎ澄ませるため、頭をそり上げた。=敬称略

(平原奈央子)

いぬわし書房

作家・丸山健二が主宰する出版社。丸山健二作品や真文学作品の出版、および丸山健二の活動状況をお知らせします。

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