【連載】ときめきの鉱脈〈4〉(西日本新聞2020年10月14日朝刊より転載)
「文学は登山のようなもの。ふもとからこつこつ、前人未到の険しい山を目指してほしい。才能の有無は関係ない。さんざん書き続ける、それが才能です」
8月末、長野県内で作家・丸山健二(76)の文学塾が開かれた。「自分が最高と思う最初の一行」を作ることから始め、丸山の添削を受けながら小説を書き上げる。塾生は会社員や主婦、高校生までさまざまだ。
「みんな潜在能力がある。具体的な方法を伝えれば、どんどん伸びていく」
この10年、丸山は作家の育成と原石の発掘に情熱を傾けている。既存の秩序や価値観が揺らぐ今こそ、「『文学もどき』の時代が去り、新しい書き手が現れるとき」と焦燥にも似た期待を抑えきれない。自分の告白に終始する私小説なら「押し入れで日記帳に書けばいい」。真の文学とは「世界と人間の存在理由を問うもの」だと信じ、そこに迫る書き手との出会いに無限の可能性を感じている。2013年には「丸山健二文学賞」を創設し、これまで3人が受賞した。
丸山は具体的に創作術を伝授する。書き続けるためには健康と体力を維持し、節食して酒は控え、孤独を旨とする。遠回りでも自分の五感、六感でとらえた情報を足がかりにする。指針となるのは、鋭い直感力としての「感性」だという。
小説指南のロングセラー「まだ見ぬ書き手へ」(1994年刊)で惜しみなく開陳し、2年前に出した「真文学の夜明け」ではさらに言葉を芸術に昇華する方法論を説いた。
確信に満ちたメッセージは、丸山自身の禁欲的な執筆スタイルにもとづく。
毎日午前3時半に起きて頭をそり、2〜3時間執筆する。時間が来たら必ず筆を止める。「筆が乗ってきたときが最も危険。文章の要は抑制にある」。頭と精神を使った分、残りの時間はフルに体を動かす。
文体の開発にも余念がない。初期のハードボイルド調の文体は暗示の妙を生かした抽象世界と緻密な人間描写に向かい、やがて改行を多用して音楽的・視覚的効果をねらう独自の「詩小説」を生み出した。中編「月に泣く」(86年)、「水の家族」(88年)などから始まった詩小説シリーズは記憶の断片が映像的にちりばめられ、緊迫したシーンの連なりが新鮮な印象を残す。その手法は時代小説「日と月と刀」(08年)で深化し、流麗な文体で屏風の絢爛たる世界にいざなう一大絵巻物に仕上げた。
丸山の文体研究は人間を見る角度を変える実験だ。「ルネサンス時代のハイテク精神と革命性に倣いたい。娯楽があふれる現代、文学も進化と深化を遂げるべきです」。語り手を人以外に設定する擬人化も進め、「千日の瑠璃」(92年)では風や鐘など千の目が語る壮大な宇宙観を築いた。13年には、少年時代からの愛読書であるメルヴィル「白鯨」の超訳を敢行。クラシック奏者が名曲を奏でるように、今この時代の文体と感性で名作を再生した。
コロナ禍以後、動画会議アプリが普及し、文学の世界でも作家と読者が直接対話する双方向性が深まっている。丸山も良き読み手や書き手との出会いを求めて、ツイッターで積極的に発言し、7月からはネット上で「文学サロン」を始めた。自作を語り、読者の悩み相談にも乗る。
「死ぬのが怖い」という青年には「生があって死がある。感情より理屈で考えて欲しい」と応じ、「妻とうまくいかない」という男性には「すぐさま別れてください。向こうも待ち望んでいるでしょうから」と返す。答えは毎回よどみない。
丸山は同時代の文学空間を自在に泳ぎ、その先を見すえる。普遍的な命題に、錬磨する言葉で挑み続けながら。=敬称略
(平原奈央子)
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